プロフィール:
小山菜の花 2000.11.24〜
千葉県八街市出身、小学 4 年生で「たま」と出会い音楽を始める。
同級生がゲームなどに夢中になっている中、1 人音楽に夢中になり
アウェイな学生時代を送る。(無事同窓会には行けた模様)
高校生になり先輩のバンドのライブを見たことで衝撃を受け、
高校生活を犠牲にしてバンドにのめり込む。
周りがシャネルの化粧品を買っている中、私は坂本慎太郎に憧れ、
SG ギターを買う。
音楽制作集団 Aho-Electronics に所属、
バンド・トロピコの街 にてサポートギター として活動中。
https://twitter.com/kkkk_k1109
楽曲解説
この楽曲を制作したのはかつての友人の言葉が原因だった。
彼女は私に会うと必ず「◯歳になったら死ぬ」と言ってきた。
しかしその歳をとうに超えた今も彼女はたくましく生きている。
現在日本の若者の自殺率が世界で一位だということを耳にしたが、
「死にたい」という言葉が流行していることは確かである。
「死」を希望の光のように感じている人もいれば、
絶望と思う人もいる。この言葉は不思議である。
きっと人間は仕方なく生き延びてしまっているだけなのだろう。
この楽曲を制作した意図について語ろう。
この曲は自殺願望者のアンチソングのように捉えることができる。
しかし、実際はそうではなくストレスを人間に与えてしまっている
現実社会へのアンチソングだったりもする。
例えば大サビの「逃げ方も知らず狼狽える」という歌詞だが、
この歌詞には私の⻑年の疑問が込められている。
大人になるために教えてもらえるのは「努力」だの
「諦めない心」だの、歩みを止めないための術ばかり。
肝心な「逃げ方」はどこでも教えてもらえないのである。
大人になった今でも逃げ方というのは誰も知らないのである。
そうして逃げられずに付けられ続けた傷口に耐えられず、
「死にたい」という感情ができてしまうのである。
逃げ方さえ知っていればこんなに劣等感を抱くことはないのに...
しかし一部の人間は逃げることを許してくれないのである。
それは生きることを阻んでいると私は思ってしまう(卑屈なので)
逃げることを悪だとする世の中への怒りが楽曲制作への
糧になってくれたので文句は言わないが。
ちなみにここまで語っている私は別に死にたくない。
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